03:撫でる手
新しいサンダルでデートに出かけた日、帰りにはしゃいで走ったらみごとに靴擦れしてしまった。踵と小指の辺りを擦りむいて、すこし血が出て彼には怒られた。擦りむいたのはわたしで侑士じゃないのに、とむくれると、俺ののかわいい足が傷つくなんて一大事やと返されて何も言えなくなる。なんでそういうこと言うかな。
彼にかかれば、わたしのものは全て可愛いものへと変わってしまう。彼の丸眼鏡には、きっと何か変なフィルターがかかっているに違いない。
家に帰り着くなりお風呂に押し込まれる。とりあえず介助と云う口実に隠れた彼の下心をキッパリと断って(そもそも介助が必要な傷じゃないし)、わたしは自分で傷口を洗ってついでにシャワーを浴びた。
傷口がふやけたらまずいから汗を流す程度だけど…恐らく居間では、彼が消毒セットを用意して待ち構えているんだろう。消毒してもらうんだから、せめて汗くらい流しときたい。…べたべたしてたらやだもん。
なけなしの乙女心を総動員して汗を流してお風呂から出ると、案の定侑士はいろいろ取り出していた。消毒液、ガーゼ、包帯…包帯?
「包帯はいらないんじゃない?」
「気分や、気分」
「ふうん…」
変なの。でも、まあいいかと思って、彼に導かれるままソファに座って足を差し出す。
消毒は案外染みなかった。
「いたい?」
わたしの足首をつかまえたまま、彼は尋ねて来た。
ちなみに擦りむいたのは左足だけなんだけど、何だか両足を掴まれている。彼の手のひらの体温はわたしより高いので、熱くてすこしどきどきした。
「…ちょっとね」
「かわいそうに」
子供を宥めるみたいに言って彼は、足の甲を撫ぜる。くすぐったいような気がして、わたしはすこし体を引いたけれど彼は放してくれない。うっすらと赤い跡の残る足を見つめているだけだ。
正直、ちょっと困った。だって自分で足首やら足の甲やらをさすっても何とも思わないのに、侑士のてのひらが触れて居るだけで何かが違う。それに先刻くすぐったいように感じた感覚は、覚えのあるものだった。
ちっさい足やなぁ、と彼は呟いて、するりとくるぶしのあたりへ指を滑らせる。その感覚に少し膝が震えて、何か変な方向へ軌道変更されたかもしれないことに気がつき始めた。ていうか、ちょっとこれは。
「…なに?」
「俺のてのひらとそこまで大きさ違わへんやん」
「なにが」
「だから、ちゃんの足」
「そりゃ、そうでしょ、あんたのが身体でかいんだから…」
「指もちっちゃいなぁ」
言いながら、今度はその長い指先でわたしの足の指を撫ぜていく。何のつもりなのか、ゆっくりとひとつずつ。わたしの話なんか聞いてやしない。
彼の指のひらが爪の上を滑る度にざわりと背中が粟だつような心地がした。
「侑士」
抗議を込めて彼の顔を見下ろすと、小さく微笑う。なんなのよそのわらいかた。彼は、わたしの足を放そうとしない。
「ちょっと」
「何?」
「何じゃなくて…やめてよ」
「何で?別にええやんか」
「よくないよ…くすぐったいからやめて」
「くすぐったい?それ感じとるんやないの」
「なわけないじゃん!」
「ホンマに?」
かれの真っ黒な眼が下からわたしを伺う。なんだかその視線はひどく凶悪だ。
ほんとじゃない、のは、わたしにも分かっていた。彼にも分かっているようで、やたら嬉しそうに足首を撫でさする。だから触り方がやらしいのよアンタは!
「足かァ、足からもアリかもしらんなー」
「何の話してんのよ」
「何のって、ちゃんの可愛がり方の話」
「ばかじゃないの」
っていうかすごいおやじくさい。ちゃんが可愛いから悪いねん、ってわたしの所為にしないでよ。
「変態」
「自然の理っちゅーやつや」
「ほんとばか」
「褒め言葉やな」
「もう、だから足はナシだってば…!」
足の甲を滑る指に耐えられなくなって言うと、てのひらは突然膝に移動した。ああもう、キワドいのよほんとに、この男は。どこまで変態街道つっぱしるのよ。ほんなら、足以外はアリなん?とか尋ねてきやがって、また背中が粟だったのはわたしの気の所為なんかじゃない。
その感覚は今度こそハッキリと思い出されて、それが嫌でも何でもないから困る。何もかもこの変態野郎の所為だ、ほんとに。
彼は鎖骨に響く声で名前をよんで目線を合わせた。
わたし、もしかしたら操られてるかもしれない。だって彼の眼に覗き込まれただけで、どうでもよくなって匙を投げてしまったから。
でも別に、彼なら。もうなんだっていいや。この手以外に選ぶものなんてないんだもの。
匙を投げるついでに顔がみえないとやだしキスも出来ないからやだし、ついでに言うとここも嫌だと本音を全部はきだしてしまったら彼は笑った。俺もそう思う、と。
それならはじめっから変な風な触り方しないでよ、と云うわたしの抗議はおちてきたキスと抱き上げる腕に吸い込まれて、出て来ることはなかった。