06:嫌いと言えど










 嫌いだ、と彼女は言った。



 指先で触れて呼び掛ければ、熱を孕んだ眸が応えた。珊瑚のような色の唇が動いて、嫌いともう一度言う。されどその声音と身体は嘘を吐くことなど出来ないのだろう。声を抑えることを許さず口内を蹂躙するこの指に、彼女はその白く可憐な歯を決して立てはしなかった。
 黒く染まった右手は、彼女にとってはとても神聖なものらしい。数え切れないほどの激励と労りを手のひらに受けてきた。固く荒れた感触にも嫌がるそぶりを見せたことはない。それを知っていて利用するこの右手は、決して神聖とは言えないであろう。否、右手だけではなくこの心さえも。



「侑士」

 ふいに彼女が俺を呼んだ。小さく掠れて、舌っ足らずに響いたそれはもはや暴虐的だとしか言い様がない。幼く映る輪郭に艶が上る、柔らかい頬を右手のひらで撫ぜれば彼女は、いとおしそうに頬擦りをした。
 先ほど嫌いと言った唇で、もう一度俺の名を呼ぶ。砂糖を溶かしたような、脳髄に染みる声だ。それは平生よりも格段に俺を動揺させる。本当に嫌いならばこれほどまでに甘い筈がない。ざらついた右手を慈しんでくれる理由など、あるはずがないのだ。


 この手を決して拒絶しない唇も声も身体も、いとおしいというだけでこんなにもただ甘い。俺は裏返しの意味を咀嚼して飲み込む為に、請われるままその声を口に含んだ。