まさかこんなことになるなんてと、わたしは辺りを見回しながら、まるで想像だにしていなかった状況に思いを馳せた。
 不安なことにかわりはない。だけど、彼が大丈夫だと言ってくれる限りは頑張ろうと思った。元気、ださなくっちゃ。




-7月28日-

2






 合宿所で先生たちを見つけられなかったわたしたちは、とりあえず合宿所の中にある食堂みたいなところに集まった。屋根があって作り付けの机とイスがたくさんあって、40人以上いるわたしたちもみんな座ることができた。落ち着いたところで、跡部を司会に話し合いが始まる。

 そして、合宿所の海側と山側と二手に分かれて、予定通りのサバイバル生活と先生たちの捜索を行うことになった。
 海側のリーダーは跡部、山側は青学の部長の手塚くん、と跡部がいつも通り勝手に決めてしまう。でもまあ妥当だろうと思うからそれでいいんだろう。みんなもそう思ったみたいで、特に反論もなく山側に行くか海側に行くかの話し合いがそこここで始まった。…わたしはどうしようかな。

「山と海、どっちがいいかなぁ」
「うーん。ちゃん泳げへんし、山のがいいんちゃう」
「俺は山にするぜ。跡部が海だからな」
「向日はあいかわらず反抗期なんだ」
「けど方向音痴でもあるもんなぁ、山も危険と言えば危険か」

 わたしが忍足に向かって言うと、そばにいた向日が横から入って来た。向日は何かと跡部に逆らいたがるフシがあって、今回もまたそうらしい。わたしが特に含みもなく反応すると、向日は片眉をはねあげた。気に食わなかったみたいだ。

「反抗期ってなんだよ反抗期って」
「だってすごい跡部と違うことしたがるじゃん」
「けど海は波があるから、やっぱ山のが危険度低いな。うん、そーやな」
「だからそりゃあ、あいつの何でも命令する感じが嫌なだけだって言ってんだろ」
「それ反抗期でしょ」
「な、ちゃんやっぱ山にしとこか」
「ちっげえよわかんねー女だなマジで」
「はー?何そのいーかた」

 確かに跡部は命令形で話すことが多いし、我の強い向日が反抗するのも分かる。だけど跡部は頭がいいから、その命令はほとんどの場合適確だ。だからみんな対して逆らわないし、忍足なんかはかるく流してる。わたしはテニスのことはよくしらないけど、それくらいのことは分かった。
 だからそれにわざわざ反抗したがるあたり、親の庇護が気に食わなくて撥ね除けようとしてる子供みたいにわたしには見えるのだ。
 だから思った通りにそう言ってるのに、全然みとめやしない。まあ別にいいんだけど、わたしも結構向日に負けず劣らず我が強いので、向日の言い方にはちょっとカチンとくるものがある。
 てゆーかもともと相性そんなによくないんだよね。正直。

「あの、ちゃん、聞いとる?」
「え、あ、なに?」

 と思って言い返していたから、しまった。横で忍足がうにゃうにゃ言ってたの、全然聞いてなかった。何の話してたんだっけ。

「……ううん、何でもない。山側でええよな?」
「あ、うん、いーよ」

 なんだか忍足はしょんぼりしてしまった。諦めたみたいに笑いながら聞いて来る。そうだ、山か海かで悩んでたんだった。ていうか、忍足と一緒ならどっちでも良かったんだけれど。

「何だよ結局お前らといっしょかよ」
「もーうっさいなー」
「あんなぁ岳人、あんまりうちの子に噛み付かんといてくれる」

 またまた口出ししてくる向日がめんどくさくなって言い返すと、忍足がわたしをちょっと引き寄せて庇うみたいにして言った。うちの子、って忍足はよくわたしのことをそう示すけれど、何だかお母さんみたいだといつも思う。同時に少しくすぐったくて頬が緩んだ。
 向日はそれを見てうんざりしたみたいな表情になって、勝手にやってろと言って宍戸たちの方へ行ってしまった。…何が勝手にやってろなのかしら。
 忍足は向日の発言なんかまるきり無視をして、首をひねるわたしに向き直った。

「で、。山側も危ないことにかわりはないからな。十分気をつけるんやで」
「うん、わかった」
「一人で合宿所の外には出ぇへんこと」
「うん、わかった」
「夜にうろうろしないこと」
「うん、わかった」
「知らん人には付いていかんこと」
「うん、わかった」
「他の学校の奴に声かけられても返事せえへんこと。しつこくされたら大声出すんやで」
「うん、……いや、そんな心配いらないと思うし返事しないのはどうかと思うけど」
「あかん!油断は禁物や!男はみんな狼なんやで!!」
「だからさァ、変質者じゃないんだから…」

 忍足は昨日からやたら心配ばかりしている。わたしが冷静に言っても、心配だと繰り返す。今度はお父さんみたいだ。これはもう何言ってもきかないなと判断して、忍足は放っておくことにした。どっちみちわたしはだいたい忍足のそばから離れないつもりだし、心配いらないと思うんだけどな。

 そういえば周りはどうなったんだろう。そう思って見回すと、女の子二人が跡部と話をしているところが目に入った。たまたま船に同乗していた船長の娘さんとそのお友達、だ。かわいそうに、榊監督のとこの旅行会社でツアーを組んだばっかりにこんなことに巻き込まれちゃった子たち。そうだ、あの子たちはどうするんだろう。わたしは興味を引かれて、まだ何かぶつぶつ言ってる忍足を置いてそちらに近付いた。
 すると、2人はどうやら自分達も何かしたい、と跡部に進言しているところだったみたいだ。なんだすごくいい子たちじゃないか。昨日は料理に夢中であんまり気にしなかったけど、2人ともとっても可愛らしい感じだった。うわー仲良くなりたいなぁ…。

 そんなことを考えていると、跡部と目が合った。それでちょっと来い、と仕草で命令される。わたし犬じゃないんだけど…。そう思いながらも、どうやら女の子たちと会話できそうなので大人しく従った。後ろから忍足の「あッどこ行くん」という慌てた声が追いかけて来る。別にそんな離れた場所に行くわけじゃないんだけど。


「何?」
、お前はこの2人と3人で管理小屋を使え。あのでかい作りの小屋だ」
「うん、わかった。あ、わたし山側に行くからね」
「別に聞いてねえ。好きにしろ。…この2人も手伝ってくれるんだそうだ」
「うん、聞いてた。よろしくね、2人とも」

 後半を女の子2人に向けて言って笑いかけた。第一印象が肝心だよね。
 言うだけ言うと、跡部は用事は済んだとばかりにさっさと立ち去ってゆく。わたしは改めて2人に向き直った。

「わたしは、氷帝の3年だよ。ふたりとも、こんなことになって、大変だったね」
「い、いえいえ!大変だったのはみなさん、同じですから……あ、私、辻本彩夏って言います。2年生です」

 髪の短い快活そうな子が、はきはきと答えた。溌剌としてて、明るい笑顔がすごく可愛い。

「私は、小日向つぐみです。彩夏と同じ2年生です。…あの、よろしくお願いします」

 もう1人の髪の長い子が、ぺこりと頭を下げた。何だか所作もお淑やかで、可憐な美少女って感じだ。顔をあげてわたしと目をあわせると、にっこり笑った。か、かわいい。2人とも可愛い。そしてなんか大人っぽい…。こちらこそよろしくねと言いながら、自分と2人は同い年くらいに見えそうだ、いや下手したら自分の方が下に見られるかもしれないと思っていた。実際彩夏ちゃんはわたしより背も高かった。こんな状況なのに取り乱してないし。

「何や、2人とも落ち着いとるなあ」

 そこに忍足がやってきて、わたしの心を代弁するかのように口を開いた。

「そうや、2人ともうちのと同じ小屋使うねんてな。仲良うしてやって」

 2人の返事を待つまえに、忍足はわたしの頭に手のひらを置いて言う。彩夏ちゃんとつぐみちゃんは、突然現れたうさんくさい眼鏡の男にちょっとびっくりしている。そりゃそうだよね、自己紹介もなしに。わたしは頭の上の手を振り落とすと、忍足を指差した。

「ごめんね。これ忍足侑士って言うの。あたしと跡部と同じ氷帝3年で、えーと…あたしの、その…お母さんみたいなお父さんみたいなそんな感じの」
「いや彼氏やろ彼氏、なんで親やねんめっちゃ傷付くわ」
「うるっさいなあ似たようなもんでしょ!じゃまだからあっち言ってて!」

 照れくさくてたまらなかったので(だって初対面の子の前でごちゃごちゃするなんて)忍足の体をぐいぐい向こうへ押しやる。跡部たちがまたなんか話し合ってるからそっち言って状況確かめてて!
 忍足はえーとか言いながらも、なんとかちょっと離れてくれた(でも横目でチラチラこっちを見てる…)。とりあえずまあいいや、と思ってわたしは2人に向き直って何かごめんねと謝る。何にごめんなんだかはわからないけど、何となくだ。
 すると彩夏ちゃんがにこにこしながら、仲良いんですね、だって。もうだからこういうのが恥ずかしいんだよなあもう。

「ぜんっぜんそんなことないよちっとも、全然違うよ」
「そうですかぁ?」
「うんそうだよ全然」

 …と言っても、2人はにこにこしたままだった。もしかしてわたし顔赤いのかな。何とか話題をかえなくちゃと思って、そしてさっき思ったことを口にする。

「あッねぇそれより、あのー、敬語使わないでいいよ」
「え?」
「だって、今からみんなで助け合わなくちゃなんだもん。女の子あたしたちだけだし。出来れば、年齢なんか気にしないで仲良くして欲しいな」

 それは本当に思ったことだった。何だかお願いするみたいな口調になってしまったので、本当にわたしのが年下みたいだ。わたしの言葉を聞いて、2人は顔を見合わせる。ああ、変な子だと思われたかな。
 けれど2人は予想に反して、顔をこちらに向けて笑ってくれた。ぴったり息のあったタイミングで言う。うん、わかった、あらためてよろしくね。
 わたしが嬉しさのあまり弾んだ声でありがとうと言うと、隣りで拍手が始まった。いつのまにかまた忍足が近くまで来て一部始終を聞いてたらしい。台無しだとののしりたかったけど、彩夏ちゃんとつぐみちゃんがいたから我慢した。もうこのバカめがね。

 そうにらみ付けているうちに、山側の人は山側のロッジへの移動が始まって、わたしたちも従って歩き始めた。



 時間は、もう既に16時ぐらいだった。とにかく今日は合宿場とその近辺の把握が必要だ、と、山側のリーダーである手塚くんが言う。そうして、手分けして探索をすることになった。
 わたしは忍足といっしょに、管理小屋のそばにある倉庫をヤサガシすることにする。倉庫の中は段ボールやら木材やらが乱雑に置いてあって、あんまり人がいた感じはしなかった。
 ともかく役に立つもの見つけなくちゃと気合いを入れて、わたしは棚の上の段ボールを覗こうとした。中に何かいいもの入ってるかも。と思ったら、忍足がすっ飛んで来て言う。

「ちょッ危ないからヤメて!下の方見とって!背伸びせんでええから!」
「別に危なくないってば…」
「もし重いもん入っててちゃんの可愛いお顔に落ちでもしたらどうすんねん!」
「落とさないよ!」
「仮に段ボールが軽かってもこんな埃まるけなんやで?真下におるに埃がふりかかって目ぇに入るかもしれへんやろ?危ないやんか、ここには医者は居れへんのやで」
「そうだけど…おしたり、おおげさ過ぎ」

 いつものことだけど、忍足はちょっとわたしのことを見くびりすぎだと思う。とんでもないおっちょこちょいだと思ってるに違いない。確かにちょっとはどじかもだけど、忍足が言うよりはしっかりしてるつもりなのに。そう思いながら口を尖らせると、忍足は黙った。それからわたしの肩に両手を置いて、少しかがんでわたしの顔を覗き込む。

「なぁ、
「な、なに」
「確かに大袈裟かもしれへんけど、真面目に言うてんねん。ここには医者も居らんし、道具も揃ってない。いま居るのは、頼りない中学生だけや」
「………」

 その夜の色の眼は、真剣そのものだった。そして、やっと忍足の言っていることを理解する。不安で不安でたまらないのは確かだけど、忍足もいるし他のみんなもいるからって、わたしはどこかで楽観視してたのかもしれない。事故や危ないことなんて、起こるはずがないって。…だけどそんな保証、どこにもないんだ。
 事故や災害は起こる時には起こる。ましてここは無人島なんだから――。

「もしものことがあったら、取り返しのつかんことになるかもしれへん」
「…うん」
「俺は、もしに何かあったら生きてなんていかれへん。ほんまにやで?」

「……、…うん」

 忍足のごつごつした右の手のひらがわたしの左頬に触れる。それから子供にするみたいに優しく優しく撫でられた。真正面から見つめられて、あんまりにも真っ直ぐに大切だと云う旨の言葉を与えられたので、彼が恥ずかしいことを言うのは日常茶飯時なのにも関わらずものすごく恥ずかしくなってくる。ていうか胸がきゅんとした。こんなときだけど。

「せやから、大袈裟なくらい気をつけて欲しいねん。あとできれば、俺の目の届く範囲におってな。出来得る限りのこと守るから、も出来得る限り慎重に行動して欲しい」

 真剣な表情のままで忍足は続けた。彼は全身でわたしを心配してるんだ。そう思うと嬉しくてたまらなかった。同時に、大袈裟だと咎めた自分の考えの甘さが申し訳なくなる。いっつもいっつも迷惑かけてばっかり。
 わたしはうなずくかわりに、正面にある胸におでこを押しつけて彼にしがみついた。考えなしでごめんね、って気持ちを込めて。

「…わかった、約束する」

 顔はあげないでそう言うと、彼のあったかい腕がわたしの背中を優しく撫でた。約束な、と低い声が頭のすぐ上で響く。

「うん。…ごめんね」
「なんでが謝んねん。俺の方こそキツく言うてごめんな」
「ううん」

 一体どこがキツかったんだろうと思いながら、おでこを彼に押し当てたままかぶりを振った。真夏の倉庫の中なのでこんなにくっついてたら暑くてたまらないはずなのに、今はあんまり気にならない。いつもはあんまりくっついたりするのは恥ずかしくて苦手なのだけれど、今日はこうしていられるのが嬉しかった。無人島効果かなぁ…。
 何だかふわふわした気持ちのまま、ふだんなら絶対言わないけれどいつも思ってることを言ってみようと思った。それですぐに言葉にしてみる。ありがとう、だいすき、って、小さな声で。

 ほんの少しの沈黙のあと、忍足は「俺いまなら死んでもええ」とか言い出した。さっきの今で何言ってるんだか。だいたい全国大会が控えてるんだから今は絶対に死ねないでしょ、と顔を上げると、これ以上ないってくらい優しい顔で笑っている彼がいた。
 だから、そうやなぁという言葉といっしょにキスが落ちて来ても、ぜんぜん拒むことなんか出来なかった。あんな顔するなんて反則だとしか思えない。別にキスが嫌とかじゃないからいいんだけど。後から考えたら、埃だらけで散らかった倉庫の中でキスなんかしてムードもへったくれもなかったことに気付いたけど、別にいいかと思った。



 そのあと猛烈に恥ずかしくなったわたしは忍足を押し退けて、だけど言われた通りに床の上のものを中心に捜索したところ調味料セットが見つかった。大手柄じゃなかろうかとそれを(忍足が)抱えてさっき集まっていた食堂に戻ると、みんなも見つけたものを持って戻って来ているところだった。
 もともとサバイバル生活をする予定だったんだから当たり前なのかもしれないけど、お米とか浄水器とかランプとか、灯油とか、大工道具とか、必要そうなものはあらかたあるらしい。裏山に畑があったとか竹林があったとか、キノコと山菜の大図鑑があったとか、みんながそれぞれ報告する。
 こうするべきだとかこれが必要とか、意見が方々から上がった。みんな、わたしと同じ中学生だとは思えないくらい落ち着いていて建設的だ。すごい。

 うーん、やっていける、のかな…。わたしも段々慣れて落ち着いてきたけれど、これからどうなるのかは依然わからないままだった。少なくともわたしには。だけど彼のさっきの言葉を思い出すと、勇気が湧いた。忍足が居てくれるからきっと大丈夫、根拠もなくそう思った。
 そしてその直感が間違ってないということも不思議なくらい、やっぱり根拠もなく、だけどよく分かっていた。