いつもはギリギリにしかおきられないのに、今日は明け方に目が覚めてしまった。
いつもと違う空気と朝日と景色。わたしは小屋を出て、ぼんやりと白い砂で固められた道を歩き出した。
-7月29日-
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わたしが今出て来たのは、山側と海側の合宿場のちょうど真ん中にある管理小屋だ。そこを、昨日跡部にいわれた通りつぐみちゃんと彩夏ちゃんと3人で使っている。そして男の子たちは、5つある山側のロッジを4人ずつで使うことになった。
忍足は青学の手塚くんと乾くんと、あと立海のやぎゅうくん(だったよね…)と一緒のロッジだ。何の因果か全員眼鏡だった。選んだ基準ってもしかしてそれなのかな…。
忍足のロッジはどれだったっけ、と、並んで建つ丸太小屋を遠目に見ながらわたしはちょっとだけ考えた。だけどすぐに手前のはしっこだったと思い出す。昨日の夜寝る前にさんざん「俺の使うロッジはここやからな!」って言われまくったからだ。別にそこまで言わなくても覚えるのに。
でもそれが分かったところで、こんな朝早くに行ったら迷惑だから意味がない。時計をつけてくるのを忘れたから何時か分からないけれど、たぶんまだ6時前だ。
いまから寝る気もしないし、とりあえず顔でも洗いに行こうかなぁ…と、わたしは水が涌いているらしい場所に向かって歩き出した。聞いただけだけど、たぶん分かる筈だ。
鳥の声しかしない合宿場を横切ってロッジ群の前に差し掛かる。そして忍足のロッジの前を通る時、なんとなくその扉を見ていた。忍足まだ寝てるのかな。ちょうどよく起きて来たりしないかな、なんて考えながら。
するとなんとその扉があいて、しかも忍足が出て来たのだ。彼の方も直ぐわたしに気付いて、びっくりしたみたいな表情になる。わたしもきっと同じような表情だったろう。だってまさか本当に出て来るなんて。
忍足は扉を閉めて、立ち止まったわたしに急いで駆け寄ってきた。
「ちゃんお早う、めっちゃ早起きやんどうしたん」
「うん、なんか早く目覚めたの」
「さすがのも無人島で迎える夜の眠りは浅かったか」
「わかんないけど、そうだったみたい」
「んで、どこ行くつもりやったん?あ!もしかして俺に会いに…」
「ううん、顔洗おうかなーって思って、湧き水のとこ行こうとしてた」
「…湧き水のとこ、って場所知ってるん?」
「たぶん…」
「たぶんて」
てきとうな感じに頷いたわたしに、忍足はあきれた顔をした。ちゃん方向音痴なんやから、と言って、わたしの左手を右手で握る。
「忍足もいくの?」
「昨日言ったやろ。できるだけ一緒におるって」
「あ、そっか…」
昨日、と言われて、それから一連の会話とかを全部思い出した。昨日の夕方倉庫をあさった時に恥ずかしい会話をして恥ずかしい行動をしたんだった。よくあんな恥ずかしいこと言ってできたなわたし。
途端、手をつないでいるのも、夏休み前までは毎日普通にしていたことなのに何だか急に恥ずかしくなってくる。嫌じゃないから放さないけれど、顔が熱くなって体も何となく熱い。つないでいる手も熱くなっているんじゃなかろうかと、わたしは心配になった。
「ちゃん?」
突然押し黙ったわたしに、忍足が不思議そうに声をかける。わたしは慌てて何でもないよと首と右手をぶんぶん振って、つないだ手を引っ張ってそれまでよりも少し早いペースで歩き出した。
「ねー忍足」
「うん?」
「ほんとに5日くらいで救助来ると思う?」
「うーん、どうやろうなぁ。難破した時救難信号出せてたかどうかやろうな」
「…出せてたかなぁ?」
「まあ普通は、出せてると思うんやけど…」
湧き水で顔と手を洗ったあと、わたしと忍足は適当な石に座って話をしていた。まだ朝も早いので、ロッジの辺りに戻ると話し声が響いて誰かの安眠を妨害してしまうかもしれないからだ。
眠って朝が来てわたしもだいぶ落ち着いて、現実的な部分が気になるようになったので忍足にきいてみた。昨日、誰かが「上手くすれば5日前後で救助は来るだろう」と言っていたのだ。その時は何にも考えずにそうなのかと思ったけど、今考えたら上手くすれば、って何がどう上手くいけばなんだろう。自分で言うのもアレだけどわたしはやっぱりちょっとばかなので、状況判断なんかは忍足の方が何倍も正しく行える。返って来た答えはやっぱり、落ち着いて整った一般論だった。
けれど、その後で忍足は言葉を濁した。けどなぁ、と怪訝そうに眉根を寄せる。何か気になることが、あるのかな。
「なぁに?」
「何かなぁ、ひっかかんねん。あんなでっかい船が暴風雨くらいで、脱出せなあかんほどイカれるもんなんやろか」
「でも、ほら、タイタニックみたいなのとか」
「あれは100年近く前の話やで?現代の造船技術で、しかもあの抜け目のないオッサンのとこのやし最先端も最先端の船やったと思うんやけどなぁ」
「そ、そっか…」
「オッサンがこの島に居てない、っていうんもなぁ。何かおかしい気ィすんねん」
「何かおかしいって?」
「や、わからへんけど…」
言って忍足はうーんと考え込んだ。わたしにはあまり、何がおかしいのかはわからない。だって脱出しなくちゃいけなくなったのは事実で、榊監督達が見つかってないのも事実なのだ。事実であるからには、ありえないかもしれないけど変ではないはず、だ。…たぶん。
「まあ、でも、こんなん言うてても今の状況は変われへんからな。あ、救助自体は絶対来ると思うで?予定の日になっても帰らんかったら、どっかの家から必ず委員会に連絡いくやろうし」
よくわからない、という表情をしているわたしを見て、忍足は思考を降り払うように笑ってわたしの頭を撫でた。
「でも、5日くらいで来るかどうかっていうのは」
「それは、どうかわからんなぁ」
「…もし、すぐこなくって全国大会にまにあわなかったら」
わたしはぎゅっと手のひらを握り締めて言う。言っちゃいけないかとも思ったけれど、言ってしまう。
その言葉を聞いた忍足は、その時はその時でなんとかなるやろ、と、笑顔に少しだけ苦いものを混ぜたみたいな顔をした。
朝ご飯のあと、みんなで食堂に集まってミーティングをした。これからは、三回の食事の度にミーティングをするらしい。昨日の夜、全体のスケジュールを決めて行動する必要があるという話をしていて、早速青学の乾くんと、立海のやなぎくん(って名前だったっけ…)が作って来てくれたスケジュール表に沿って行動するというから、その確認もあるんだろう。なんだか本当に合宿みたいだ。
とりあえず午前は合宿場周辺の地形を把握するように、という山側のリーダーの手塚くんの号令のもと、朝のミーティングは解散になった。ちなみにこんな時でもみんな、空いてる時間に練習する気まんまんだ。当たり前なんだろうけど、やっぱりみんなテニス好きなんだなぁ…
「、行くで」
「あ、うん」
ぼんやり考えているうちにミーティングは終わっていたらしい。忍足の手に掴まって立ち上がると、忍足はそのまま歩き始める。
「どこいくの?ていうかあたしは何すればいいの?」
「さっき手塚が言うてたやろ。適当にだれか手伝ってくれって」
「そっか、ぜんぜん聞いてなかった」
「…ちゃん…頼むから、次は聞いとってな…」
「うん、ごめん」
手を引かれて歩きながら素直にうなずくと、忍足は少し驚いたみたいにこっちを見た。何よその反応。わたしだってこんな状況で意地はるのはよくないって、昨日言われたことで気付いたんだから。
「何よ」
そんな思いをこめてちょっと睨んでやると、忍足はたっぷり間をためてから「 …いや」と呟いた。
「ちゃんは何でこんなに可愛いんやろうと思って」
「な…に言ってんの!ば、ばかじゃない」
それがあんまりしみじみした感じだったので、いつも言ってくることなのにやたらと照れてどもってしまった。この島についてからなんだかどうも変な感じだ。いつもよりずっと忍足のことを意識してしまっている。そりゃいつもだって意識してるけど、それより恥ずかしさが当社比20%くらいアップしてるような感じがするのだ。
わたしが照れたのに気付いたのか、忍足はにこにこしながらとりあえず合宿場の周り確認しとこかーとか言って来た。いつもなら憎まれ口のひとつでもきくところだけれど、わたしはまた素直に頷いておく。すると更に忍足は嬉しそうにした。ちくしょう、何かむかつく。
でもむかつくけど忍足がにこにこしてるのは嫌いじゃない。
…だから、まあ、いいか。
やっぱりなんかこの島についてから変だなあと思いつつ、悪くない気分だった。
それからわたしたちは、忍足が言ったとおりに合宿場のまわりを確認しに行った。方向音痴のわたしのために、外で迷った時目印になるものや分かりやすい道を見つけるためだという。本当に忍足はわたしのことをみくびりすぎなんじゃないかと思ったけれど、方向音痴なのは確かなのでおとなしく覚えることにした。
そのあとは昨日着ていた服の洗濯だ。合宿場の中に小さな川が流れていて、そこで洗濯できるようになっている。下着はもちろんこんなとこで洗いたくないから(あとでお部屋で洗いなさいって忍足にも言われた、そんなの分かってるっての)ジャージの下に着ていたポロシャツとハーフパンツを持って来る。
いまいちどう洗えばいいのか分からなかったけれど、忍足に教わりながらなんとか洗う。水が冷たくて気持ちよかった。でも途中で川に落ちそうになってポロシャツも流れそうになって、結局忍足が洗ってくれることになった。わたしって、なんでこう、不器用なんだろう…。
物干しロープに干されて揺れる自分の洗濯物を見ながら若干の自己嫌悪に陥る。お礼を言うと、気にしなくてもいいとでも言うかのように忍足は大きい手でわたしの頭を撫でて笑った。どうして、コイツはこんなに優しいんだろう。いつもいつもわたしの心をほぐしてくれる。そんな人はほんとうに忍足だけだった。
「どじっこなとこもちゃんの萌えポイントなんやから、気にせんでええよ」
「だから萌えとか言うなって」
…まあ、ちょっとアレなのも事実なんだけれど。でも半分くらいはわたしの心を軽くするために言ってくれてるんだと思う。たぶん。昨日に比べてかなり不安じゃなくなったのも、忍足がずっと近くにいてくれているからに違いなかった。
どうして忍足はいつもいつもこんなに優しいんだろう。気付けば柔らかい目でこっちを見ている彼を見上げて、ぼんやり考えた。いつもはさほど深く考えていなかったことが、今になってなんだかすごく気になる。
どうしてなんだろう、ともう一度わたしは考えた。けれど答えは出てこない。様子のおかしいわたしに気付いた忍足がどうかしたのかと訊いてきたけれど、何でもないと首をふるしか出来なかった。