ふっと目を覚ましたら、いつもの彼のセミダブルのベッドで、わたしはひとりぼっちだった。

 一瞬、なんだかわからなくなって、朝なのか夜なのかを考えた。部屋が明るいから朝だ、と気がついてから、時計を見ればいいんだと思い付いて、そうした。8時だった。窓の外が明るいからたぶん、朝の8時。
 どうしてひとりぼっちなんだろうと思って、彼はもう起きてごはんの準備をしているのかな、と思った。だけど、部屋の中ではなんの音もしない。
 昨日の夜どんなふうにねむったのか、わたしは思いだそうとした。はっきりしないけれど、彼がだっこしてベッドにつれてきてくれて、あたたかくてしあわせな気持ちで眠ったような気がする。彼の大きな手のひらが、小さいときお母さんがしてくれたみたいに、ぽんぽんお布団を叩いてくれたのを何となく覚えていた。

 だけど、じゃあどうしていまはお布団も冷たくて、部屋中静かなんだろう?
 ざわ、と自分の体の中を、不安が通り過ぎていくのを感じる。頭はぼんやりしているけど、だって、部屋の空気さえつめたい。いつもなら目を覚ましたら、台所から彼が朝ごはんを作るにおいと音がして、ごはんができたら彼が起こしに来て、おはようって笑ってくれるのに。

「ゆうし」

 反射的に、名前を呼んでいた。ベッドの部屋とテレビの部屋と台所があるだけの空間に、ひどく不安そうな自分の声がみょうに響いて聞こえる。
 どんなときでもすぐにこたえてくれる声は、かえってこなかった。

「ゆうし…?」

 お布団から這い出すと、空気が本当に冷え切っていてぶるりと震えてしまう。毛布を体に巻き付けて、わたしは氷みたいなフローリングの床に足を付けた。いつもは彼がスリッパを持ってきてくれるのに。
 立ち上がって、まず隣のテレビの部屋を覗き込む。ソファにも窓の外のベランダにも彼はいない。スリッパ掛けにわたしのうさぎのスリッパが掛けてあったけれど、それどころじゃなくてわたしは構わず台所までぺとぺと歩いて行った。だけど台所にも誰もいない。トイレにもお風呂にもいなかった。まるではじめからひとりだったみたい、だと思った。

 頭がぼんやりしていて、たくさんのことを考えられない。とりあえずわかったのは、彼はいまここにいないということだった。どうしてなのかは分からない。だけど、わたしは今彼のうちに、ひとりぼっちなのだった。

 そう気が付いた途端にとても心細くなった。こんなに冷たくて寒いのに、彼がいない。そういえばおなかもすいているのに、昨日の夜はあんなにあたたかくて、ほんのわずかも寂しくなんてなかったのに。
 知らないうちに、両目からぼたぼた涙が零れてきて、テレビの部屋と台所の境目に立ち尽くしてわたしは泣きはじめた。落ちた瞬間は温かい涙も、すぐに冷やされてしまう。腕や胸元に落ちて、どんどんどんどん寒くなる。どうして侑士はいないの。口にだそうとしたけれど、しゃくりあげてしまって出来なかった。
 足も手も、冷たい。凍って動けなくなってしまうと思った。だって、わたしはひとりぼっちだ。

「ゆうし、どこぉ……」

 迷子の子供みたいに、泣きじゃくりながらわたしは言った。
 ゆうべあさごはんはオムレツがいいって言ったとき、頷いてくれたのに――。



 だけどちょうどそのとき、玄関の扉が開いた。ああさぶ、と言いながら、彼が入って来る。手にコンビニの袋を持っていた。
 わたしはびっくりして固まってしまう。そんなわたしを見て、彼もひどく驚いたみたいだった。

ちゃん!?」

 コンビニ袋を床に置き、靴を蹴散らしながら脱ぎ捨てて、彼は大慌てでわたしに駆け寄ってくる。

「どないしたん、泣いてるやん!」

 コートもマフラーもそのままで、彼はわたしの頬に残る涙を指で拭った。外から帰ってきたらしい彼の指はとても冷たい。

「怖い夢見たん?きょうは早起きやったんやなあ、ごめんな」

 彼は頭をよしよしと撫でて、肩をさすってくれる。わたしはふるふると首を振った。

「ゆめ、みてない」
「そうなん?」
「おきたらゆうしいないんだもん」

 困ったような、心配そうな表情で彼はわたしを覗き込んでいる。言いながら、さっきの言いようのない寂しさを思い出してまた涙が込み上げてくる。

「ひとりぼっちだと思ってこわくなったの」

 声が震えてしまって、止まったはずの涙がまたぱたりと落ちた。彼はほんの少しぽかん、としてから、ぎゅっとわたしを抱きしめる。少しいたいくらいの力だった。

「そうか、寂しい思いさせてごめんな…コンビニ行っててん。卵切らしてたん忘れとってな?」

 指と同じでコートも、頬に当たるマフラーも冷たかったけれど、気にならない。しゃくりあげながら、オムレツ?と聞くと、そうやで、と彼は頷いた。

「おなかすいたぁ」

 もう寂しくないはずなんだけれど、彼に抱きしめられていると涙が次から次に溢れてくる。彼はそんなわたしの背中を撫でて、そうやなぁ、お腹すいたなあ、と相槌をうってくれた。

ちゃん、泣かんといて」

 寂しい思いさせてごめんな、ともう一度言いながら、彼はわたしの目蓋や頬にやさしくキスをする。外の空気で冷え切ったコートはしばらくつめたかったけれど、ひとりぼっちでいたときよりもずっとあたたかいなと思った。



 しばらくしてわたしが泣き止むと、はらぺこちゃんのために急いで世界一おいしいオムレツ作るからな!と彼は腕まくりをして、わたしにスリッパを履かせて、コートとマフラーをハンガーにかけて、暖房をつけて、脱ぎ散らかした靴をきちんと揃えてからあさごはんの準備に取り掛かった。
 なんとなく離れがたくて、わたしは彼の服の裾を握ったまま彼の料理するのを見ていることにする。さいばしを使って、彼はかしゃかしゃと卵を掻き混ぜはじめた。

「そうや」

 その途中で、彼が声を上げる。なあに、と尋ねると、彼はにっこり笑った。

「忘れとった。ちゃん、おはよう」

 そう言って、わたしの頬に音を立ててキスをする。たぶん、おはようのキスだ。キスならさっきもしたのに。

「挨拶せえへんと、一日が始まらんからな」

 頷きながら、とくいげな顔をして彼は言う。わたしはそっか、と納得して、背伸びして彼の腕を引っ張った。
 引っ張られて体を傾けた彼の頬に、おなじようにキスをしかえす。彼の手からさいばしが落っこちてカランカラン、と音を立てた。

「おはよう」

 そうしてわたしも笑って、あいさつをする。一日のはじまりのあいさつを。