かない

 目の奥がひどく熱い。引き結んだ唇が自分のものじゃないみたいに感じた。こんな聞き分けのないわがままを言いたいんじゃない。理解してあげたい。あげたいのに。
 自分が何を言いたいのかもわからなくなって、わたしは俯いた。ただいっしょに居たいだけなのにうまく行かない。彼はいつもわたしを一番に考えてくれてるって知ってる筈なのに。言葉と気持ちがぐちゃぐちゃになって、お腹の中に溜まっていくみたいだった。目頭が熱い。泣きたくなんかない、でも、感情の制御が効かない。わたしはなんて、わがままで、嫌な子なんだろう。
「もう、あかんわ」
 それはとてもとても静かな声だった。どこか呆れているような。静かなのに、わたしの体を貫くような気がした。顔を上げるのが怖い。彼がどんな表情でわたしを見ているのか、知るのがとても怖かった。
「俺は、もう、」
 …聞きたくない。
ちゃんが好き過ぎて死んでしまいそうや」

「………え?」
 わたしは思わず顔を上げた。目に入ったのは、彼のそれはそれは嬉しそうな顔だった。
「ヤキモチ妬いてくれたんやんな?ちゃんめっちゃ俺のこと好きなんやなぁ、今すぐ抱きしめてチューしたいわ。ていうかしてもええ?」
「な……なん」
「ドキドキしすぎて死にそーなくらい俺ものこと好きやで、ていうか愛してるで」
「!」
「せやから、安心してええよ」
「…………ばかじゃないの!」
 あんまりニヤけた顔をしているから、涙もぐちゃぐちゃした感情も吹き飛んでしまった。勢いで抱き着くと大きな腕が抱きとめてくれる。なにもかもおっきい人だ。胸に顔を埋めてごめんね、と言うと、頭の天辺にキスが落ちて来た。のわがままなんかわがままやあらへん、なんて、蜜のように甘く優しい声と一緒に。
 (かれの腕の中は、不安も苛立ちもはかなくなるほどの平穏に満ち満ちているのだ)



みつ

 きもいとかくそめがねとかいつも色々罵っているけれど、本当は彼の眸の色がとても好きだ。ほんとうに真っ黒ないろ。初めて真正面からみたとき、まるで夜みたいだと思った。暗くて不安な夜じゃなくて、柔らかくて安心する、干したてのふかふかなお布団で眠る夜みたいな。
 と、彼の友達に話したら、またまた嫌そうな顔をされた。だからほかに言う人がいなかっただけでわたしだってあんたに話したかった訳じゃないんだってば。
「つーかだから本人に言ってやれって」
「やだよ、何で?」
 (調子に乗るからうざいって言ってるじゃん)(いい加減あいつが不憫でしかたねぇよ俺は)



たり

 いとおしい衝動に抗わずに華奢な背中を両腕で抱きしめる。1年前はたったそれだけで緊張に身体を固くしていただが、今ではすっかり俺に体重を預けてくれるようになった。それが嬉しいようで歯がゆい。彼女は俺がこれだけで満足できないことなど、夢にも思っていないに違いなかった。でなければ、俺の胸に頬を埋めながら安心したように息を吐く筈がないだろう。そんな穏やかな吐息ですら、俺にとっては強烈に劣情を誘うものであるというのに。
 占領することを唯一許されている唇を丹念に愛するのは、悪あがきに過ぎない。恐らくはもうまもなく、俺の理性と我慢にも限界が来る。何故って、は口内に侵入して略奪の限りを尽くしても抵抗しないのだ。息が出来ないと文句を言いはすれど、開放したあとの彼女は瞳を潤ませ、俺の所為でぽってりと火照った唇を尖らせて拗ねてみせるばかり。本気で拗ねているわけではないのも、手に取るようにわかる。つまり、まんざらではないのだ。
 はなにも分かっていない。無論、それが彼女の魅力の一部であり、そんなところを愛しているのも事実だ。だが、あまりにも極悪非道な無邪気さだった。健康な高校生の俺にとっては。
 今日も腕の中で一切の怯えを見せない彼女が恨めしい。どうしてこんなに安堵した表情でここにいて、俺の唇を受けていられるのだろうか。年相応に艶めいて無意識に俺を誘うのに、そのくせ彼女は今も昔も変わらず清冽なのだ。欲望で汚してしまうのが恐ろしいほどに。
 (なんて卑怯で愛らしい、無垢な小悪魔だろう)



たくそ

「痛い!痛いいたい!」
「ほんまに?これで?」
「いったいよ、侑士すごい力入ってる!」
「あああ、ごめんな」
「テニス部の握力の肩揉みはやっぱだめだー」
、肩めちゃくちゃ細っこいもんな。いやーしかし…」
「なに?」
「結構興奮するもんやな」
「…………なんだって?」
「いや、いたいって言われるのも」
「ちょ…変なこと言わないでよきもちわるい」
「あ、安心してええで。痛がる顔もめっちゃカワイイけどいいときの顔の方が」
「やめてもうそれ以上言わないで」
 (泣き顔も相当カワイイけどやっぱりいいときの顔の方が)(もうヤダこの変態、誰かどうにかして!)



っきょくせい

 彼の力強い腕が、わたしの背中と腰をがっしり捕まえて抱え込んでいるのを感じた。わたしはその力強さになんだか安心して息を吐く。むかしは、この腕に力を込められる度どこか少しこわかった。彼が怖かったんじゃなくて、たぶん自分の中にいままでなかったものが生まれるような気がして怖かったんだろう、と思う。彼の腕の中はこんなに温かかったのに。
 わたしの安堵のため息に気づいたのか気づいていないのか、彼が右手のひらでわたしの頭のうしろに触れた。耳元で声がする。それは鎖骨のあたりに触れて滑り落ちていくような気がした。抗えない引力に彼の瞳を見上げると、覆いかぶさるように唇が落ちて来る。やわらかいそれがわたしのそれに触れて、内側に入り込む。わたしと彼は確かに別のものなのに、こうしているとそうでもないような気がしてくる。
 こんな風にするようになるまで知らなかった感覚が湧き上がってきて、息が出来なくて苦しいのに、なぜかわたしのこころは平穏に凪いでいる。心臓はうるさいし血は沸騰しそうだけれど、そのずっと奥はただ、ひたすらに安堵している。たぶんわたしたちはきっと同じ気持ちでいる。同じものになりたいけれど、それはかなわないから、なるべく近くにいようとしているのだと思う。それがわかるから、満たされているのだ。
 それがきっと、この先変わらないものだと、不思議にも信じていられるから。
 (別々のままでかまわない、でも、ずっと近くにいたい。すぐ傍に、距離なんてないくらいに)