「、彼氏に連絡した?」
「うん、したよー」
予約してある店へと向かいがてらそうたずねると、彼女はふにゃっと笑いながらそう答えた。その笑顔がいつもの事ながら無防備なので、私はなんとなく不安になる。今日きちんと家に帰るまで、しっかり私が見ていなくちゃ…。
なぜそんなことを考えているのかというと、この友人がとんでもなくボンヤリだからである。なんとなく妹に似ていて、いつも気づくと姉のように接していた。もともと世話好きな性格なので、つい構ってしまう。そんな私にも懐いてくれて、ここ一年ほどは大学でもたいてい一緒に行動している。
ちなみに今日の集まりは、大学のゼミの親睦会だ。
は無邪気だが人見知りで、慣れるまではなかなか楽しく話したりできない。そのため、今までよくある飲み会などには参加してこなかったが、ゼミの集まりとなると話は別だ。教授も参加するため、行かない訳にはいかないのである。
しかし参加するのは、今時の若者達が殆どだ。おかしなことを考えている輩もいるかもしれない。は素っ頓狂かつ大変ズレているが、人見知り中は借りてきた猫のように大人しい。変なのに目を付けられないとは限らないのだ。
彼女には、彼女を大変深く――そう、深いことに違いはない――愛している恋人がいるのだが、学部が違うためこの集まりには当然、来られない。
冒頭でが連絡した彼氏というのが、その人である。彼――名を忍足侑士と言うのだが――は、愛するが故にに対して大変過保護だった(が人見知りなのも、中学からの付き合いである忍足くんが周りから彼女を遮断して独占してきたからなのではないかと私は睨んでいる)。そのため連絡もせずに帰りが遅くなると、血相を変えた電話とメールが鬼のように飛んでくるのである。年頃の娘を持つ父親以上の心配ぶりは、感心を通り越して気持ちが悪いくらいだ。
「忍足くん、何て?」
「えーとね、帰り迎えにくるって。それかタクシーで帰ってこいって…」
「えぇ?そんな終電なくなる時間にはならないと思うけど」
「うん、でも金曜の夜で電車満員だろうから一人で乗っちゃだめだって」
「………、…そう」
彼はのことを、ものすごく小さな子供と勘違いしているのではないだろうか。否、気持ちはわからないこともないが、さすがに電車にぐらい普通に乗れるだろう。確かにボンヤリだしズレているが、それでも成人しているのだ。
すっごいケチなのにタクシーとか言うの珍しいよねぇ、とは呑気に笑っている。長年一緒にいるため、この子は自分の彼氏の過保護ぶりに全く疑問を抱いていない。はの意志で彼を好きで一緒にいるのだと理解はしたが、未だに首を傾げずにはいられない関係性である。
しかし今日は仲の良い友人との集まりではない以上、迎えに来るのであればそ
の方がいいだろう。頃合いを見て連絡させて、適度な所で帰そうと思いながら、私は相槌を打った。
店へ到着してから、変なのがの隣に来ないよう席を慎重に選んで二人並んで座る。
「、お酒飲んだことある?」
「ちょっとだけ。でもすぐ眠くなっちゃって…侑士が外では絶対飲んじゃダメって言ってた」
「……じゃ、ヤメといた方がよさそうね」
飲み物のメニューを見ながら尋ねると、そんな答えが返ってきた。自分はザルなのだが、彼女に付き合って今日は控えた方がよさそうだ。オレンジジュースと烏龍茶をオーダーして、時間を確認する。19時を少し回ったところだ。料理はよくある宴会コースなので、多めに見積もって2時間ほどで終わるだろう。
21時くらいに迎えに来いってメールしといたら、と言うと、はウンと素直に頷いて携帯を繰る。その内に全員が揃い、親睦会のスタートとなった。
男女の人数はほぼ同じ、人の多めのゼミなので、全部で18人ほど。教授がいるとはいえ、大半の人間が合コンのつもりだろう。この店を出た後は間違いなく、二次会でカラオケやら別の店やらへなだれ込むつもりだ。やはりは早めに帰した方がいい。親しげに話しかけて来る初対面の男(どっかの授業で一緒だったかしら、全然記憶にないけど…)を適当にあしらいながら、私はそう考えていた。
しかし、私は油断していたのだろうと思う。時間も2時間程度で、保護者紛いの彼女の恋人は店まで迎えに来るというから自分が送る必要もない。もすぐ隣にいるのだから、何事も無く過ごせるだろうと。
のボンヤリっぷりは予断の許さないものであるということを、わかっているはずだったのに。
はしばらく、やはり人見知りなので口数は少なめに、料理だけをぱくぱく食べていた。今のところ目立ってもおらず、特にに目をつけている輩もいないようだった。
その為安心して、暫く教授と次に書きたいレポートのテーマについて話しに花を咲かせてしまった(もともと私自身は、教授と話をしたかったのである)。それでしばらく、から目を離していたのだが――
少ししてからを振り返ると、頬というか顔が赤くほてっていた。ぎょっとして顔を覗き込むと、若干目がとろんとしている。快調だった箸もにぶって、今はただ握っているだけだ。
「……?」
「んー?」
呼びかけると、は不思議そうに首を傾げる。いつもまあふわふわしている子ではあるが、またちょっと違う。見たことがない感じだ。
とっさに卓の上を見ると、が飲んでいたオレンジジュースのすぐ近くに、よく似た色の液体の入ったグラスが置いてある。まさかと思い、手に取って少し飲んでみると、カクテルだった。
…もしかして、間違えてこれ飲んじゃった…?
「、もしかしてこれ飲んだ?」
「…これ?」
誰よこんなとこにこんなの置いたの、と思いながら本人に聞いてみても、わかんない、という要領を得ない答えがかえってくる。わからないはずはないが、わからないということは、つまりこの子、酔っている。多分、いや確実に。
色が似ていて、百歩譲ってグラスを間違えて取って飲んでしまったのは仕方ないとしても、口に含んだらアルコールだと気づく筈だ。それなのに飲んでしまうなんて、いったいどれだけとぼけているのかと私は不安になる。
しかし、カクテルのグラスはさほど減っているようには見えないが――
(この子、もしかしてすごいお酒弱いんじゃ…)
まだカクテルを飲んだかどうか考えているを見ながら、私はため息をつく。だから忍足くんは、彼女に外で決して呑むなと言い含めたのだろう。ただでさえぼんやりなのに、それが輪をかけてひどくなっている。
「、もういいからオレンジジュース飲んだら…」
「うん」
念のためカクテルを遠ざけ、ジュースを手渡すとは素直にそれを飲んだ。そしてふぅ、と満足げな息をついてから、ふとなにかに気付いたように顔を上げる。
「…………あれ?」
「なに?どうかした?」
また首を傾げ、そのあと周りをキョロキョロと見渡すので何かあったのかと尋ねた。はあれぇ、と繰り返しながら、不安そうな表情をしてこちらを見る。
「侑士は?」
「え?」
「侑士がいないよ」
…キョロキョロしていたのは、恋人を探していたからのようだ。私は頭を抱えたくなりながら、優しく語りかける。
「、今日ははじめから忍足くんは一緒じゃなかったでしょ?」
「そうだっけ…」
「迎えに来てくれるって話してたじゃない」
「……そっか」
そういう話をしていたことは思い出したのか、納得したはしゅんとして肩を落とした。彼が居ないと気付いて、淋しくなったのだろうか。ごはん美味しそうよ、食べないの、と元気付けるように話しかけても、ふるふると首を横にふる。
それどころか、心なしか涙目になっているような――
「侑士、いないの…」
心なしか、ではなかった。ハッキリと涙目になっている。やばい、と思う内にぽろりと雫が零れ落ちる。侑士いないのヤダ、と呟いて、更にもう二粒ほど涙が頬にこぼれかかった。
(ウソ、泣き出しちゃったんだけど…!)
はまさかの泣き上戸だったのだ。流石に周りのメンバーもの様子がおかしいことに気付いて、どうかしたのかと声をかけてくる。
大丈夫よ、酔っ払っちゃったみたい、と答えながら、私はの鞄から携帯電話を取り出す。新着メール一件、と表示があったため、泣きじゃくるを宥めて読ませるとやはり忍足くんからのメールだった。
少し早めに来て最寄り駅をブラブラしているから、終わったら連絡するように、という内容だ。今は20時過ぎ。少し早過ぎる気もしたが、もう早く連れて帰らせた方がいいと判断して、に携帯を手渡す。
「、大丈夫、電話したら忍足くんすぐ来てくれるわよ」
「本当?」
「本当。ほら、掛けて」
「うん」
は頷くと、携帯を操作して電話をかけようとする。なんだか手つきが覚束なく不安だったが、慣れているためか無事に発信する。そして相手は、ほんの1、2コールで電話に出たようだった。
「……侑士?…うん…侑士、どうしていないの?…うん?」
ダメだ、会話が成立していない。受話器ごしにうっすら彼の声が聞こえるが、は首を傾げるばかりだ。
自分が話した方が良さそうだと思い、ちょっとゴメンね、と断って携帯を借りて、代わりに電話に出る。
「…あ、もしもし?早川ですが」
『早川さん?もしかして、酔っとる?』
「………ちょっと、不注意で」
『〜〜〜〜〜〜、何してくれてんねん…』
はああ、と深いため息を吐く音が聞こえ、なんとなくカチンと来る。なんでそんな風に言われなくちゃいけないのだ。
「悪かったわね。とにかくそういうことだから、早く迎えに来て頂戴。どうせ近くにいるんでしょ」
『何やつっかかる言い方するな自分。まあ確かにおるけど。…10分で行くわ』
どうして21時に迎えを頼んだのにこの時間に10分で着く場所に既にいるのかと内心でツッコミながら、お願いね、と言って電話を切る。そもそも電話に1、2コールで出たというのも気持ちが悪い。待ち構えていたのだろうか。
相変わらずのへの執着ぶりにうすら寒いものを感じながら、携帯をに返す。10分で来るそうだと伝えると、は非常に嬉しそうに笑った。…何か納得が行かない。はやくこないかな、といつも以上に間延びした声で言って、泣いていたのが嘘のようにはころころと笑っている。
「……」
「んー?」
「忍足くんが好き?」
「うーん、好き」
思わず尋ねると、にこにこしたまま悩むそぶりもなくは答える。けれど答えた後にあれ、と呟いて眉間に皺を寄せた。
「ちがうかも。ちがった」
「やっぱり好きじゃない?」
「ううん、大好きだった」
………な、なによそれ。言った直後に恥ずかしがって顔を覆うを見ながら、私はかわいい友人の恋人に対して激しい苛立ちを覚えた。普通ならちょっと重過ぎてもっと引かれている筈だ。一体どうやってここまでこの子の気を引いたというのか。
「ねえ、どこがそんなに好きなの?」
「侑士の?」
「そう、忍足くんの」
「うーん」
なんとなく身を乗り出して更に尋ねる。はアルコールの影響で思考がまとまらないのか、腕を組んで難しい顔をした。
「えーと、…おいしいごはん作ってくれて、頭なでてくれて、おかあさんみたいなとことか」
「………おかあさん?」
指折り数えながらの彼女の答えが意外すぎて、思わずおうむ返しをしてしまう。ウンと頷いて、は「あたしのこと、うちの子って言ったりするの。ちゃんと歯磨かないとおこるんだよ」と何故か嬉しげにくすくす笑いながら話してくれた。
「…お、忍足くんはの彼氏だよ?」
「うん?しってるよー」
思わず確認すると、本当に知っているのかどうか不安になる感じのふわふわした返事が返ってくる。否、これはきっとアルコールの所為もあるのだろうが。
は続けて、おかしも作るの上手だとか、そうじが上手だとか物知りだとか、的長所を上げていく。しかし途中から考えるのが面倒になったのか「よくわかんないけど好き」で纏めてしまった。のときめきポイントは理解出来なかったが、とりあえず大好きなのは解った。その上は眠くなってきたのか、瞳がとろん として目蓋が重そうだ。
「あ、ちょっと、寝ちゃ駄目よ」
「ねむくないよー」
といいながら、目がもう既に開いていない。これはちょっとマズい、と思っていると、テーブルの上に置きっぱなしだった携帯に着信がある。どうやら迎えが到着したようだ。
「もしもし」
『もしもし、…早川さん?店の前着いたんやけど、中入った方がええ?』
「あー、…ううん、いいわ。すぐに連れて行くから、そこで待ってて貰えるかしら」
眠そうなの代わりに電話をとって話をする。了解、という短い返事を聞いてから携帯を閉じて、の肩を揺すった。忍足くん着いたって、と言うと、眠そうながらもキョロキョロと辺りを見回す。お店の前に居るらしいから、鞄持って出ようね。優しく語りかけると、は頷いて鞄を腕に抱えた。
歩けるか不安だったけれど、幸い酔いは足には来ていないようで普段よりほんの少し覚束ない程度だった。酔って気分が良くないみたいだから先に帰すわね、と皆に断って、私はの手を引いて入口へ向かった。
「あ、侑士いたー」
店の外へ出て彼の姿を確認するなり、はふにゃっと満面の笑みを浮かべた。それを見た忍足くんもまあこれまた嬉しそうな顔で(私には鼻の下が伸びているように見えてちょっと引いた)、に向かって腕を広げる。
…前から思っていたけれど、正直言って私はこの男が気に食わない。というか苛々する。だってここは一応往来なのだ。頭はいいらしいが、実は悪いんじゃないかと思う。出来るのはきっと勉強だけだろう。
しかしわたしが彼の反応に苛々しているうちに、はまっすぐ歩いていってぽすんと彼の腕に収まってしまった。いつもなら嫌がるのに、今日は酔っているから判断力が鈍っているのだろう。そして彼が腕を広げたのも、それを見越してのことに違いないのだ。
「侑士なんでいなかったの?」
「ごめんなぁ、寂しかったやろ」
「うん」
あああ、何でそこで素直に頷いちゃうの…!アルコールを摂取した彼女は、やはり大変に判断能力が鈍っている。いつもならきっと頷いていないはずだ。案の定、やはり彼はこれ以上ないほど嬉しそうな顔をしている。(う、うざい!)
「、眠そうやな。ていうか目ぇ赤いやん。泣いたか?」
「ないてないよ」
「ほんまに?」
の柔らかい髪を撫でながら、忍足くんは言う。その腕の中のは服にしっかりしがみついて小さく首を降った。いつ見ても、何度見ても、彼の前のは子供のように見える。大好きな人に全力で甘える小さな女の子に。
その様子はどこかほほえましいものがある…のだが、私の存在を忘れるのは止めてほしい。抗議を込めて睨みつけると、眼鏡の男はやっと顔を上げる。そしてわざとらしく笑って、のたまった。
「早川さん、今日はの面倒見てくれて有り難うな。この子まだお金払ってへんやろ。いくら?」
「どういたしまして。でも別に、の為に私がしたことだから忍足くんがお礼言うことではないと思うけどね?お金は3500円よ」
負けじと私もにっこり笑って、の為にしたことでアンタにお礼を言われる筋合いは無いと言外に含めながら言い返す。お互い不自然に笑いながら忍足くんからお金を受け取ると、そこでやっとが顔を上げた。頭の上で不穏な空気の会話が交わされていたのには、どうやら微塵も気付いていない。まずすぐ上にある忍足くんの顔を見上げてから、私の方を振り返る。それから、さっきまでいた店の入り口を。表情から読み取るに、どうやら今初めて店を出てきた事に気付いたようだった。
「あれ?あたしかえるの?」
「うん、間違えてお酒飲んじゃったでしょ。帰ったほうがいいよ」
「まちがえてのんだっけ…」
「飲んでたわよ」
苦笑しながら言うと、はそっか、と分かっているんだか分かっていないんだか分からない表情でこくんと頷く。ぼんやりさんなんだから、今度からグラス間違えないようにね、と頭にぽんと手を置くと、はあい、という素直な返事が返って来た(尤も、私に対してはいつも素直だけど)。
「ほなちゃん、帰ろか。タクシー呼んであるからな」
そんな私とのやりとりが気に食わないんだかナンなんだか、忍足くんが会話をぶった切ってそう言う。はうん、と頷きかけて、それから不思議そうに私を見る。
「ゆみちゃんは帰らないの?」
「え?うん、私はまだ。ご飯も話も続きだし」
「そうなの?…やだ、一緒にかえろ」
「えぇ?」
は忍足くんの服に掴まっていた手を話すと、私の手をギュッと両手で握りしめる。そしてそのまま引っ張ろうとした。さほど強い力ではないが、慌てて声を上げる。私はまだ帰る気はないのだ。
「ちょっと、」
「ゆみちゃんも一緒にかえろ」
動こうとしない私に、はまた同じ台詞をくりかえした。普段あまり聞かない、少し甘えたような口調がいつもに増して子供のようだ。
「駄〜目、私まだ教授と話の途中だもの」
「やだ、ゆみちゃんも一緒がいいもん」
「また明日も同じ授業取ってるでしょ?」
「いまいっしょがいいの!」
宥めるように言っても、はごねて口をへの字に曲げて拗ねてしまう。うーん、5つ下の妹の小さい頃そっくり…。どうしたものか、と思いながら、私は小さくため息を吐いての頭に手を置いた。
「もう、わがまま言わないの。また明日遊んであげるから」
「本当?」
「本当」
半ば拗ねながらも、ジッと見上げてくるににっこりと笑ってみせると、漸く納得してくれたようだ。が手を離して、じゃあまた明日ね、と言いかけたところで「早川さん困らせたらあかんやろ。はやく俺の家帰ろうな」と忍足くんがの体にしっかりと腕を回した。
見ると、彼の表情はおもいっきり引き攣っている。「俺の家」とわざわざ言うあたり(心なしか抑揚も強調していた)、どうやら妬いているようだ。彼女の友達に対して嫉妬をする意味は全くもって理解出来ないが、いけ好かないこの男が悔しい思いをするのは多少気分がいい。むろん、どうでもいいという気持ちの方がよっぽど強いのだが。
は恋人の様子にはまったく気づかないまま、名残り惜しそうにこちらに手を振って、連れられるままタクシーに乗り込んだ。
彼女はとても素直なので、好意が非常に分かりやすい。こう正面から懐かれると、つい過保護にしたくなる気持ちはよくわかる。…それでも彼のそれはちょっと異常だと思うのだが。迎えにきたのに、タクシー呼んだのね。歩けないわけじゃないのに。
やはりうすら寒いものを感じながら(二人で電車で帰んなさいよ勿体ない!)、私は店に戻るのだった。