真夜中の空気は肌に突き刺さるように冷たい。あたりは静まり帰っている。雨雲が上空を覆っていたら、間違いなく雪がチラついていただろう。
だというのに、俺達はベランダにいた。
というのも、今日の深夜、南の空で流星群が見られるというのだ。朝のニュースで特集していたのを見たが、瞳を輝かせて見たいと大はしゃぎした。家のベランダは南向きで、観測にはうってつけだ――真冬であることを除いては。めちゃくちゃ寒いと思うで、と説得を試みたが、既にその気になってしまった彼女には何を言っても無駄である。
そんな訳で、深夜の天体観測が決行されたのだった。
決行するのはもう仕方がないが、とにかく寒い。は寒さに強い方ではない筈だが、どんなに寒くても絶対見たいと言いきられてしまってはもうどうしようもない。せめて少しでも温かくいられるよう、足元はレジャーシートの上にラグマットを敷いて更に座布団を置き、そこに湯たんぽを仕込んだ。にはコートを着せて――動きづらいから嫌だと言われたが、ここは譲るわけにはいかない――分厚い毛布を二枚。膝に掛ける用と、後ろから羽織る用だ。ここまでしたら逆に暑そう、とは零したが、そんなことはないと思う。冬の真夜中を甘く見てはいけない。
更に温かいココアを入れて、ホッカイロ変わりにに持たせる。小さな足には厚手の靴下を履かせれば、準備は完了である。
早く外に出たくてうずうずしていたにOKを出すと、はわあいと喜んでベランダへ続く窓を開く。途端に冷気が部屋の中に流れ込んで、俺とは身を竦めた。
「さむい!」
「せやろ?やめるか?」
「やめない!」
悲鳴のようなかわいい声を上げたので一応尋ねるが、かえってきたのは強固な返事だった。やっぱりか…。俺としては窓からチラ見するぐらいで、暖かいお部屋の中で、ていうかベッドの中でイチャイチャしたかったのだが。まさかこうまでしっかり観測することになるとは。
はさっさとベランダに出て、俺の用意した座布団の上にちょこんと座る。俺はにバレないように小さくため息をついて、の後ろに回って腰を下ろした。を足の間に挟むような格好、所謂ラッコ座りで、の腹部に腕を回してひきよせる。一枚めの毛布をと自分の膝にかけ、二枚目の毛布を肩から羽織って、の肩まで包んだ。
「あったかーい」
は嬉しそうに言って俺に凭れかかってくる。そのまま俺の肩に後頭部を乗せるようにして、夜空を見上げた。
「流星群、まだかなぁ」
顔がもの凄く近いのでドキドキ、正確にはムラムラしたが、はあまり気にならないようで時々頭を起こしてはココアを口に含む。どうやらとってもご機嫌なようで、おいしいと呟いてにこにこしている。か、かわいい…。
「侑士のココアはなんでおいしいの?」
缶のとぜんぜん違う、と言いながら、はそのまま俺を見上げた。どんぐりまなこが純粋な疑問を宿してきらきらしている。あーチューしたいと思いつつ、俺はそのおでこをヨシヨシと撫でた。
「そら、缶のと一緒にされたら困るわ」
「前あたしが作った粉と牛乳まぜるやつとも味違う」
「ちょっとな、簡単やけどひと手間かけてんねん。ミルクパン使うし」
「…ミルクのパンなんて使うっけ?」
「………片手鍋な」
「あ、おなべかー」
分かりやすくいいなおすと、なるほどねーと彼女は頷いた。お料理が出来ない彼女はあまり台所を使わない(というか使わせていない)ので、調理器具の名前をあまり知らないのだ。
それでこんな美味しいんだね、と呟いて、は納得したようにウンウンと頷く。そして少し体を起こすと、冷めて飲みやすくなったココアをこくこく飲み干した。猫舌なのでちびちびとしか飲めていなかったが、話しているうちに冷めたらしい。が甘い飲み物を嚥下する、その身体の振動に俺も生唾を飲みながらも、いろんなものをやり過ごし、飲み終えて幸せそうな息を吐くの頭を撫でる。
ふたたび凭れかかってきたを受け止めながら、流星群まだやろうか、とひとりごちた。
「どうかなぁ。どのへん?」
「たぶんあの明るい星のあたりやと思うんやけど」
「落ちてこないね」
「うん、あの星は落ちひんよ?」
「しってるよ!」
ほんの少しだけ心配になって言うと、は軽く頬をふくらませて睨みあげてくる。そんな表情ですらあまりにかわいいので、俺はやっぱりあーチューしたい、と思いながらごめんごめん、冗談やって、とオデコを撫でてやる。もう、と小さくつぶやいて、しかし機嫌を損ねるほどではなかったらしくまたは星空を見上げた。
「でも、こうしてたら寝ちゃいそう。なんか話して」
「眠いなら、お部屋に…」
「もどんない。眠いけど見たいもん、だからなんか話して」
「……むかーしむかし、あるところに」
「それじゃ余計寝ちゃうよ、もっと別のがいい」
「ほな、せやなぁ、俺の愛の囁きでも聞くか?」
「それも寝ちゃうよ」
「……」
まあそら耳元でボソボソ囁かれたら眠くなるかもしれへんけど…。いやでも愛の囁きって言うてるんやから、もうちょっとドキッとするとか何とかしてほしかった。バッサリと切り捨てられてちょっぴり傷つきつつも、ちゃんが聞いて楽しめそうな話がなかったか考えてみるが、特に思い付かない。暫く考え混んでから、ふと空っぽになったマグカップに気付く。
「せや、とりあえずココアおかわり入れようか」
「あ、うん!いれてー」
はぱっと表情を輝かせると、嬉しそうに頷く。その台詞に、意味が180度違うとはいえモヤモヤしたものを感じながら、俺も笑い返してマグカップを受け取った。ほな入れなおしてくるな、と、羽織っていた毛布をの肩にかけてやる。毛布から出ると途端に冷気が体に凍みた。
「うー、さぶ」
身震いしながら立ち上がり、部屋への窓を開ける。室内とはいえフローリングの床もまたひんやりと冷たく、暖房をつけておいた方がいいだろうか、と思いながら部屋に入った。が、すぐ後ろにが付いて来ているのに気付いて振り返る。
「…ど、どうした?」
は毛布を身体にぐるぐる巻きにして――背が低いので引きずってしまっている――立っていた。少し驚きながら俺が尋ねると、は「だって侑士いないと寒いんだもん」と言って俺の服の裾をぎゅっと握る。
…………ほんまに、この子はどうしてこんなに可愛いんや。俺は目尻が下がるのを自分で感じながら、ほな急いで入れるからええ子にして待っとってな、とその柔らかい頬を撫で撫でする。はコクンと頷いて、台所まで裾を握ったままアヒルの子よろしく付いてきた。いや、アヒルの500倍かわいいけどなちゃんの方が。
純ココアの缶と砂糖を取り出して、計量スプーンできっちり分量を計って水で練る。は横から顔を出して興味深そうに俺の手元を見ていた。
「牛乳入れる前にこうするんやで」
「そうなんだ」
「ちゃん、牛乳冷蔵庫から出してくれへん」
「うん」
そうお願いすると、は小さな子供のようにこくんと頷く。冷蔵庫から牛乳パックをとってきて、どのくらい入れるの?と聞いてきた。
「ちゃんが入れてくれるん?」
「うん、入れるー」
「ほな、まず計量カップに入れて計ってな」
自分でするときは目分量で済ませてしまうが、がやるなら計ってもらったほうがいいだろう。そう判断して、俺は計量カップをわたした。二人分計らせて、火にかけた鍋にゆっくり流し込んでもらう。
立ち上る甘い香りに、はそれよりも遥かに甘い笑顔になった。ものすごくうれしそうだ。まだ?もうできる?と急かす彼女を宥めながら、沸騰を待つ。直前で火を止めれば、ココア自体は出来上がりだ。
マグカップに注いでやると、待ってましたとばかりには手を伸ばす。しかし俺はその手をぎゅっと握りしめた。怪訝そうな表情でなあに、と尋ねてくる彼女に「秘密兵器があるんや」と笑ってみせる。
「…秘密兵器?」
は眉間に皺を寄せて首を傾げた。俺はふっふっふ、と笑いながら、冷蔵庫からあるものを取り出す。
「じゃじゃーん!ホイップクリームやで!」
そう、ココアの上に乗せてやろうと、深夜の天体観測が決まった時点でこっそり泡立てておいたのだ。は甘いものが大好きだ。間違いなく喜ぶだろう。
案の定、はきらきらと瞳を輝かせている。
「のせる?のせるの?」
「さーて、どないしようかな」
「のせて!いっぱいのせてっ」
跳びはねかねない勢いで、は俺の腕にしがみついて言った。す、すごい食いつきようや…。ちょっとホイップクリームに嫉妬しそうになる。こんな甘いだけの白くてふわふわなものだが、ちゃんには大人気だ。既にクリームは搾り出し袋につめてあるため、握りしめないようにするのに気を使わなければならなかった。
もちろんそんなことは微塵も表には出さず、可愛いおねだりに頷いてのマグカップにたっぷりとクリームを搾り出してやる。彼女は隣で歓声をあげた。
「美味しそう!」
「せやろ〜」
「侑士ありがと、大好き!」
とろけそうな満面の笑みを浮かべて、はぎゅっと俺の首に抱き着く。柔らかい感触と髪のかぐわしい香りに思わず夢見心地になった。しかしその背中を抱き返そうとすると、気まぐれな天使はするっと身体をかわして俺を翻弄…ではなくマグカップを嬉しそうに抱え込む。
「これがあれば寒いけど頑張れそう〜」
し、しまった。やる気を出させてしまった。喜ばせたくてやったことだったが、ここまで大喜びだなんて。ちょっとした誤算にがっかりしながら、俺は極寒のベランダへ嬉しそうに戻るの後を追う。さっさと座り込んで、侑士はやくはやく、と楽しそうに急かしてきた。これ、眠気も飛んでるんちゃう?
先ほどの体勢に戻りつつ、柔らかい身体との密着具合がまるで我慢大会のようだなとちょっと思う。自分からしたことやけどな…。
は持ってきたスプーンでまずホイップクリームを掬って食べている。それココアに乗せた意味ないやん、と思いながら、幸せそうな表情が可愛いのでそのままただ見ていた。
暫くクリームだけを食べてから、はやっとココアとクリームを掻き混ぜはじめる。そうそう、そうするとクリームが冷たいからココアも冷えて飲みやすくなるんやで。
うんうんと頷きながら見ていると、半分ほどクリームが混じったあたりではふーふーとココアに息を吹き掛けた。まだ少し熱いらしい。柔らかい唇を尖らせるその仕種にムラムラするが、もはや我慢する他ない。そうして彼女はそっと、カップに唇をつけて甘いココアを口に含んだ。ああ、俺はいまそのマグカップになりたい……。
は少しずつこくりこくりとココアを嚥下すると、とっても幸せそうなため息をついた。
「ふー、おいし」
「よかったなぁ」
「うん」
は上機嫌なまま振り返って頷く。その唇に、例の甘くてふわふわなだけのくせにに大人気のクリームがかわいらしくくっついていた。小さな子供のようでそれはそれで非常にムラムラする。
ちゃん、クリームついてるで、と言いながら柔らかい肌に指で触れて拭い取ってやった。
取ったクリームを見せてやるとはあ、という顔をして、そしてつぶやいた。
「ほんとだ、もったいない」
そして俺の親指をぱくりと、その暖かな口内にくわえてしまったのだった。
の子猫の様な舌が指のひらについたクリームを舐め取ったのを感じる。しかし俺はそれどころではない。
「あまーい」
あっさりと、まったくそれが自然なことであったかのようには俺の指から唇を離すと、やはり幸せそうに言う。いやいや、いや。
「ちゃん、い、い、今の」
「なに?…どうしたの?」
俺が動揺してどもっている理由がわからないのか、は怪訝そうに俺を見上げる。この子ほんまはワザとやってるんとちゃうか!?
「いやどうしたのやなくて」
「侑士も飲みたかった?」
は首を傾げながら的外れなことを言う。それもそうやなくてと返す前に「あげたくないけどしかたないなあ、侑士が入れてくれたやつだし一口ならいいよ」と温かいココアを手渡された。…とりあえず一口いただいておこう(もちろん、が口を付けたところと同じところから)。
仕様にひどく甘いココアは俺をわずかに落ち着かせる。神様、つまり俺はもう我慢の限界です。このかわいい子猫をベッドに連れ込みます!!
内心で高らかに宣言すると、俺はに愛を囁こうと唇を開いた(眠くなっちゃうて言われたけど、ものはやりようや!)。…ちょうどその時。
「あ、流れた!」
俺をまるきり無視して夜空を見上げていたが声を上げた。
そう、観測開始から約30分、ようやくお待ちかねの流星群がやってきたのだ。続けてぽつりぽつりと星が流れる。
「あ、あんな、ちゃん?」
「なーに!侑士も見て、いっぱい流れるよ!」
「いや、なあ寒ない?お部屋…」
「なんで?流星群はじまったのに」
は興奮しながら、不思議そうに言う。ああそうやんな、全くその通りや。その通りやけど…!
確かに、こんな寒い中なぜベランダにいたのかというと流星群を見るためにいたのだ。ココアを飲むためだけでは決してない。せやけど。
こんなお預けってちょっとあんまりにもあんまりすぎると思いませんか神様、いや、お星様!
俺の悲痛な心の叫びは、のすごおい、という嬉しそうな歓声によって遮られたのだった。
