おはよう、と、とびきり優しい表情で彼は微笑んだ。大きな手の平がわたしの頬を包む。彼のベッドは、彼のにおいがした。夜の色の瞳は差し込む朝の陽でいつもより少し薄く見える。深い色もきれいだけど、薄墨みたいなこの色もとてもきれいだなぁとぼんやり思った。
「…ちゃん?起きとる?もしかして寝とる…?」
目は開いているはずなのに何も言わないわたしに、彼が聞いてくる。ぼんやりしていただけなんだけど、不安そうにされてしまったのでおはよう、と間延び気味の返事をした。
「びっくりした、目開けたまま寝とったらどうしようかと思たわ」
「おきてるよ」
そう言いながらも欠伸が出てしまう。わたしの様子に彼は苦笑して、わたしの額と目蓋とそれから鼻の頭にキスをした。
「いまなんじ…?」
「7時。眠そうやなぁ」
「うん…」
目蓋をこすろうとすると、こすったらあかん、と彼の大きな手で阻まれる。べつにかゆかったわけじゃないからいいんだけど。なんとなくうぅ、と唸ってみると、今度は心配そうな顔をされた。
「体えらないか?」
体…?そう言われてみれば、なんか全身筋肉痛な気がする。というかすごくだるい。だから眠たいんだ。そう伝えると、芙由ちゃん筋肉ないしなぁ、と彼は呟いた。
「…あれってあたしもきんにくつかってたの…?」
「……うん、使てたと思うで」
「そーだっけ…」
「…………ちゃん、結構冷静やねんな。もっと恥ずかしがるかと…」
「うん…でもねむいから」
欠伸しながら言うと、彼はため息をついたようだった。恥ずかしくなくはないけど、なんだか目覚めてすぐに彼がいるのが当たり前のような気持ちがしていたから。ずっと前からそうしてきたみたいに。
「あれ?あたしパジャマきてる…なんで?侑士きがえさせてくれた?」
「や、いちおうちゃん自分から着てくれてたで。寝る直前に」
「おぼえてない…」
「…………ちゃん昨日のこと覚えとる?というかどういう状況か分かってるんやんな?」
「とりあえずすごくいたかったことは覚えてるよ」
「………」
状況もわかってるよ、と落ちてくる目蓋と戦いながら答えると、すごく申し訳なさそうにごめんなぁ、と髪を撫でられた。何を謝ることがあるんだろう。思わず少し笑ってしまう。
「侑士なんかへん」
「変違うわ、感動してんねん」
「どうして?」
「どうしてって、目覚めたらすぐ近くでが寝てんねんもん。感動せずにおられへんわ」
「変なの」
妙に熱を込めて言う彼がほんとうにおかしくて、わたしはくすくす笑う。笑うところやないで、と彼が額をこつんと当ててきた。ついでのように唇も。
「、今日もめっちゃ可愛いなぁ」
「ふーん、そう」
「もっと照れてええで」
「やーだ」
今度は少し照れくさかったので、頭から布団に潜り込む。すると彼も追い掛けてきて、わたしの顔を覗き込もうとした。セクハラだと抗議すると、何を今更、とか言いながら嫌な感じの笑い方をする。
「へんたい」
「褒め言葉やな」
「そんなわけないじゃん」
とても簡単に捕まってしまって、たぶんほんのり赤くなっているだろう両頬を彼に晒しながら悪態をついた。彼は歯牙にもかけずに、またわたしの頬にキスする。唇にも、今度は少し長めに。
赤みの増しただろう頬に気づいてか、彼はひどく嬉しそうに笑う。
それでも、彼の笑顔はほんとうにほんとうに嬉しそうで、細かいことはどうでもいいという気がした。
もう少し眠ろうと思って広い胸元に擦り寄ってみる。彼の温かい腕が優しくわたしの背中を抱き寄せて、掛け布団をかけ直してくれた。なんだかすごく安心する。大きな手が布団の上から、小さな子にするみたいに心臓と同じリズムでとんとんやさしく叩く。まるでお母さんみたいだ。
ひどく穏やかな気持ちになると、少し引いていた眠気がまた襲ってきた。
「」
「…なぁに?」
「ほんまに、有難うなぁ」
「なんで?」
「なんでも。俺めっちゃ幸せやわ」
「そう…」
そう言う彼の声もまたひどく穏やかで、もっと安心する。体はだるいけれど、体の中は満たされているのを感じた。そんなのわたしだって同じだ。
「あたしもね」
「うん?」
「なんか、わかったよ」
閉じた目蓋はそのままで、頬を彼に擦り寄せる。
「いたかったけどさ…」
「う…うん…ごめんな」
「いーのそれは、じゃなくてね」
「うん」
「なんか、ずっといっしょなんだろうなあって」
「え?」
「そんな気がした」
きのうも、きょうの朝も、そう思ったよ。
自分でも驚くほど素直に喉から声が出た。ひどく清冽な気分だ。きっとわたしは彼といっしょにいる、この命の続く限り。とても単純にそう思った。それが昨日の夜からこの朝にかけて生まれた、わたしの中の真実だ。
彼はとてもびっくりした、という表情で何秒間か停止していた。それがほんとうに可笑しくて、わたしはまた笑う。
あなたがこの世界に生きていて、ほんとうに良かった、と、そういうのはさすがに恥ずかしいので言わないけれど。
わたしはあなたの勇気
(あなたが生きているかぎり、わたしも決して死にはしない)